福田復彦
グローバルパーソンの歴史的グローバリズム、ローマ街道とは何か。
地図も存在しなかったであろう2000年以上前のローマ人たちはローマ帝国いう巨大国家を統合し、ローマに結び付けていたのはローマ街道だと思います。
ローマ時代にすべての道はローマに通ず、と言われるほどローマの街道は発達していました。本格的なローマ街道は紀元前321年のアッピア街道建設が始まりと言われています。それ以前にも塩の道のようなものが存在していました。ローマ街道が必要になった主な理由は軍隊の迅速な移動のためでした。ローマ最盛期には約32万キロあったと言われます。紀元1世紀ころには総延長15万キロメートルが建設され、その内幹線道路は現在の舗装道路と同じように、大きな石で引き詰められまた幅10メートルで道路の両側夫々2メートルを軍人たちが走り、中央部の6メートルは武器や食料などの戦争に必要な物品を乗せた馬車が走りました。街道の最北端は現在のイングランドとスコットランドの国境付近のハドリアヌスの長城からヨーロッパではエルベ川とドナウ川の南側、トルコ、シリア、レバノン、イスラエル、さらにエジプトからモロッコまでの地中海沿岸に及ぶ広大な領土の中を網の目のごとく張り巡らされていました。街道の使用の主目的は軍事ですので軍隊や政府の役人が宿泊可能な設備もありました。
ローマ街道は通信手段として大いに利用されました。国営郵便制度がローマ帝国の隅々まで広げられ、乗馬の配達人が一日70キロ運びました。むろんこれに付随する設備も作られました。その後四頭馬車に切り替えられました。
また以前は孤立していた村や町が街道を通じて行き来が容易となり、諸々の物資の運搬にも使用され経済的活動が広範囲になりました。
民間人もこの道路を使用して自由に旅行が可能でした。ただし宿泊設備などは民間のホテルのようなところでした。パウロがイスラエルを出てキリスト教の布教を街道沿いの人々に行いローマを目指しました。貴族や金持ちはローマの郊外に別荘を持つようになったのもこの街道のお陰でした。
また地中海はフェニキア人やギリシャ人の池と言われるほどに航海が盛んで、沿岸各地に植民地が建設されました。その最大のカルタゴはローマ帝国を脅かすほどの強国にまでのし上がりました。
以上の様に現代の我々の道路や鉄道網などを中心とした諸々の活動のインフラの原点はこの時代グローバリズムを起点としていると言っても過言ではないと思います。
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