151) 13Xグローバルパーソンの誠と報の8.計量性 2025年4月19日 福田復彦
日本人の心情を表すものが「情」で非計量的行為です。欧米人のそれは「理」であり計量的行為です。
日本人の心情を表す代表的なものは「情」です。この言葉の意味は「心にかくありたいと思う気持ち」、「他人をおもいやる気持ち」、「他人を慈しむ心」などと言いかえることもできるでしょう。例えば親鸞が著した歎異抄の中の有名な言葉が「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」です。阿弥陀如来は善悪を超越して全ての人々を救う深い慈愛を持っている意味です。このような「気持ち」や「心」は現実対非現実、合理性対非合理性などの対立軸を超越し全てを包含しますので非計量的です。
もっと卑近な例を挙げますと夫婦関係です。「愛情で結婚したが、長年連れ添うと離婚したくても人情が邪魔してできない」などと言います。「愛情がなくても離婚したら連れ合いは一人で生きて行けないかもしれないので、可哀そう」という心情は理から見れば理解不可能な気持ちです。このような考えになる一つの理由は、日本の場合の結婚は両性の合意のもとに情に基づいただけで役所に結婚届を出せば簡単に婚姻が成立し単なる登録行為であるところに原因があるかもしれません。
欧米の場合は両性に愛情があり結婚に合意しても、法律的には理に基づいたけじめとなる契約関係となります。これは両名が作成した結婚契約書に判事の面前で署名し、さら証人としての立会人も必要です。いくら両名に愛情があっても結婚と言う行為を行うには法律的な裏付けが必要です。ですから離婚の場合は感情的な問題は別にとして理の基づいた契約解除の法律的手続きが必要です。この場合財産の分割や慰謝料なども契約書に基きますので計量的な行為となります。無論昨今欧米では結婚はせずに、同棲の形の夫婦関係が増えており、社会もそれを認めてきています。日本の場合は婚姻関係に入る前の「お試し期間」の意味での同棲が多いようです。
理とは「正と濁は別」、「正と悪は別」、「プラスとマイナスは別」と考えます。つまり「矛盾なくつじつまが合った」考え方ですので現実的かつ合理的です。日本人にとっては「清濁飲み合わせる」、「善悪を包含する」などは計量不可能ですが、敢えてそれができる人が所謂「腹の座ったオトナ」であり、リーダーや指導者としての一つの重要な要素ともなっています。
しかし欧米人にとって、これは神の世界では可能かもしれませんが、普通の人間社会では理解しがたく、そのために能力的にも、精神的に困難な事でしょう。
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